11月号イラスト
イラストレーション:火取ユーゴ

山下洋輔の文字化け日記

第105回 2010.11月

NYT月予告日。今年は2年振りにニューヨーク・トリオの日本ツアーがある。10月20日から月末まで、方々に出没するので、どうぞよろしくお願いします。旅の道中でいつも笑い話が出るが、前回、ドラムのフェローンが言い出したのは物品引き取り店の「ハード・オフ」だ。あれはまずいとフェローンは言う。ブック・オフは別にいいけど、ハード・オフは男としてまずいのだと。何の意味だか、皆さまはお分かりでしょうか。そういえばディックなんとかという会社名を見てセシルと二人でゲラゲラ笑っていたこともあった。英語名には注意したほうがいい。以前、ポカリスエットのスエットがいかがかという意見もあったし、大昔からカルピスは一部で爆笑問題だ。「Cow Piss」になっちゃうんですよね。などと言いながら、もういい加減にしろというくらいの暑さの日々が夢だったかのように、これを書いている今日はもう肌寒い。

In月F日。その猛暑の日々、なかのZEROでついにガーシュイン「Concerto in F」を決行。東京フィル&指揮:金聖響。一年がかりでようやく宿題を果たして心が晴れる。完璧にはほど遠いが、録音した音を毎日寝る前に聴けるほど、自分にとって悪くない出来だったのは幸いだった。

乱月打日。さあ宿題が終ったってんで、この後の日々は、手当たり次第の乱れ打ちだ。ピットインにピアノが2台ある日に、スガダイロー(p)を呼んで一騎打ちの決闘をやり、大阪でソロをやり、舞鶴と帝国ホテルで「Solo & More」のユニット[米田裕也(as)、熊本比呂志(perc)]をやり、奈良に行って奈良フィルハーモニー&指揮:阪哲朗で「Rhapsody In Blue」をやり、帰京して国立音大ニュータイド・ジャズオーケストラのヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテストでの四連覇の報を受け、片岡聡、小林千寿、大沢奈留美のプロ棋士に加えて日テレの鷹西美佳さん、文春の星衛氏が加わる囲碁の会に参加し、檜原村の野外ステージで17回目で最終となるコンサートを、サプライズ・ゲストの高遠彩子(超高周波vo)、星衛(日本笛)、櫛田哲太郎(b)と共に大爆発で打ち上がり、銀座スウィングで「Solo & More」をやり、岩原のピットインに転がり込んでニューヨーク・トリオの策を練り、帰途、高崎の「セレンディップ」で熊本比呂志(perc)とデュオをやり、翌日は「ドバラダ門−2」を書けと言って、フランスにいる長老従兄弟への取材を実現させた毎日新聞出版局の大場葉子さんと別の親戚を取材し、その次の日にはチュニジアに行くという、いやはや「ちょっと無理過ぎね?」の日々だった。

チュニ月ジア日。中学高校の同級生がチュニジアに滞在している縁でチュニスで開催される「メディナ・フェスティヴァル」に参加した。チュニジアと言えば「チュニジアの夜」で、あの曲を現地で演奏するジャズメンも少ないだろうと喜んで出かけた。ちなみにものの本によればディジー・ガレスピーがこの曲を作った時は、チュニジアのイメージはなく違う曲名だった。それを友人のピアニストがこの曲のムードにぴったりだといって「チュニジアの夜」にしたのだという。実にいい加減なジャズマン的態度なのだが、しかし、現地で弾いて全く違和感がなかった。使う音がどこかアラブ的で同時に見事な構成を持つ名曲なのだ。それを含むソロを第一部でやり、第二部では現地ミュ−ジシャンとアラブ音楽を共演した。この話、実は他に詳しく書いているので、これ以上はバラせない。ご興味のある方は月刊「文藝春秋」の巻頭エッセイでお確かめください。

立川月お祭り日。行きつけの居酒屋「くぼがた」は、地元のお祭りの本拠地でご店主の棟梁をはじめ、祭りといえば何処にでも飛んでいく筋金入りの人たちが集っている。おれも一応、その「中宿無風会」の会員で法被も持っている。とはいえ地元の「阿豆佐味天神社」のお祭りには毎年日が合わず見学が出来なかったが、今回は可能になった。棟梁に「神輿を担ぐか」と言われて、思わずその気になって、一緒にダボや祭り道具衣装を購入した。しかし前日になって、これは無謀だと分かって棟梁に泣きを入れた。「じゃあ見物だけで」と言われて安心して当日現場へ行った。五日市街道をやって来た八坂(五番)と八雲(七番)の神輿が神社に入る。門前で無風会の心和太鼓が盛大に迎えの太鼓を打つ。やがて中宿(四番)と八雲(一番)がやって来る。その中宿の神輿の前で記念写真を撮るというので近寄ると、棟梁が「ちょっと担いでみて」と言う。思わず棒に触った。危険な重みではなかったのでそのまま一緒に進んだ。掛け声に酔うようないい気持ちになった。ところが左回りに神社に入る瞬間に猛烈な重みがかかってきた。「あ、これは死ぬ!」と思った瞬間、すっと他の人が代わってくれた。何故分かるのか。助かりました。あとで聞くと担がせてもらった場所は、花棒という最高の位置だったのだそうだ。