5月号イラスト
イラストレーション:火取ユーゴ

山下洋輔の文字化け日記

第99回 2010.5月

草月五庵日。八ヶ岳高原音楽堂でのコンサートの翌日、プロデューサーの松井美知子女史が清里のお蕎麦屋さん「草五庵」に連れていってくれた。以前に国立で「大平」をやっていた店主関澤さん手作りの内装の中で、絶品の昼のコースをいただいた。これが呼び水になったのか、帰宅したら蕎麦ツアーが待っていた。

高遠月彩子日。以前に編集した「蕎麦処 山下庵」という本が縁で知りあった歌手の高遠彩子さんは、血中蕎麦粉度120%と言われる蕎麦好きだ。ブログをちょっと見るだけで、毎日数店に現れる過激蕎麦天女だと分かる。行きつけの居酒屋「くぼがた」の棟梁も地元の蕎麦屋についてはこだわりがあって、是非、その過激派嬢をご案内して一日3軒のツアーを決行したいと計画していた。

吉日に決行されたそのツアーは、西多摩郡瑞穂町の「さしだ家」、武蔵砂川の「そば花」、武蔵村山市の「入清」と巡り、最後は「くぼがた」で打ち上げという豪華なものだった。同行者は、棟梁の他にベンツを運転してくれた渡邊動物病院の渡邊先生、「くぼがた」常連の小梅さん、「くぼがた」の若旦那マナブさん。

移動の車のなかでも蕎麦について高遠さんに質問しまくった。いやあすごい知識と哲学をお持ちだ。その中には「打った後寝かせる」問題もあった。何日か寝かせる方が美味しいと聞いたことがあるのでそれを質問すると「美味しくなるか不味くなるかはその蕎麦を打った人の手についている黴菌の質による」というお答えだった。これにはのけぞった。そうか、発酵現象であって質の良い酵母が棲息する酒蔵が美味しい酒を造れるのと同じことなのだ。実際に、寝かせたおかげでひどい味になっている蕎麦を発見して指摘したとこともあるという。これは敵いませんよ。

高遠さんは蕎麦と自分の間に一切の夾雑物が存在するのを許さないので、おつゆはつけず、直接もぐもぐと食べて味わい尽くす。この模様はご自分のブログで「夢の多摩蕎麦ツアー」としてくまなく紹介されている。ただし、打ち上げの最後に、山下のたってのお願いで披露して下さった必殺の超高音超音波ヴォイスを聴いて「くぼがた」勢が全員卒倒したというエピソードは出てこないので、ここで補っておきたい。

津月波日。富士市ロゼシアターで古野光昭(b)のコンサートに参加。渡辺香津美(g)、川嶋哲郎(sax)、大坂昌彦(ds)と共に大いに盛り上がる。この日、太平洋も盛り上がって津波が押し寄せた。富士インターから西の高速が通行止めで百人以上の人が会場に来るのを諦めたという。終演後、富士インターを目指すが、道路は難民パニック状態。ナビに聞くと高速には乗らずに富士吉田を目指せと言う。自宅は立川だから河口湖インターから中央道で八王子に出る作戦だ。素直に従って夜の富士山麓を走る。青木ヶ原だの樹海だのという標識を見る。他にも走っている車はいるが、いやあ、夜の樹海ドライブは恐かったですよ。ま、おかげで帰宅出来たが、後で聞くと、富士インターから入るのに三時間かかったとか、沼津インターまで逃げたなど、皆、苦労したらしい。津波で通行止めだなんて今後の人生でも多分遭遇しない稀な出来事だ。特別な日として記憶に残るコンサートになった。

桐月生日。宇都宮「一芸舘」でソロの翌日、群馬みどり市でソロピアノと川嶋哲郎とのデュオ。桐生市に近いので、打ち上げは当然、桐生のジャズの元締め店「ミスティ」だ。世話役の洗足音大出身の丹羽さん御一派と共に盛り上がる。何年も前にMiya(fl)と桐生に来たことがあるが、その時にMiyaお姉ちゃんを見て聴いてあこがれた小学生の女の子がフルートを初めて、今、ここにいる女子高生になっている。音大も目指そうという成長ぶりだ。他にも元気な子達がピアノを弾いたり歌を歌ってくれる。やがて丹羽さん御一派の大人のオバサマ方がクラシックを熱唱し、最後には「あんこ椿」を絶唱するという、前回の打ち上げで確立された桐生スペシャルぶっ飛び展開となった。この伴奏はワタクシが務めさせていただきました。

カウンターに行ってご主人の原口氏、奥方優子さんと話をする。今日の為にわざわざ来てくれていたクマちゃんとも再会した。以前にお店を手伝っていた女子大生で、熊本出身と聞いて九州ファンのおれが勝手にクマちゃんと呼んでいたのだ。当時は群馬大のビッグバンドでアルトサックスをやっていた。今はリクルートに勤めている。

あと桐生で忘れてはいけないのが大川美術館だ。大川栄二氏が1988年に開館したもので、ピカソ、シャガール、エルンスト、キリコ、ウォーホール、シャーン、などに加えて松本竣介、国吉康雄、藤島武二、藤田嗣治などなど日本人画家も充実していて、内外7200点のコレクションを誇る。2002年に呼んでいただいて絵に囲まれてピアノを弾いた。今回、2年前に亡くなられた栄二氏の代わりに彰子夫人が大川氏の好きだった「ボレロ」を遺影と共に聴いて下さったと後で分かった。桐生は濃い。