2月26日、東京生まれ
三井鉱山勤務の山下啓輔、菊代の次男として生まれる。魚座、O型
1952
父親の転勤に伴い、福岡県田川市に転居。ヴァイオリンを習う
1954
東京に戻る。ピアノを独習
1956
麻布中学2年。この頃兄の啓義に誘われジャズ・ピアノを始める
1959
麻布高校3年。この頃からプロとして活動を開始、キャバレーなどで演奏する
1960
麻布高校卒業。大学受験はせず、プロ・ミュージシャンの道を目指す
1962
国立音楽大学作曲科に入学
勉強の傍らキャンプ、キャバレーなどでも演奏活動を続ける
米軍慰問バンドに参加してグアム島で演奏、初めての海外演奏であった
1963
先鋭的なジャズの実験の場であった「銀巴里セッション」に参加
1965
富樫雅彦カルテットに参加。日本で初めてフリー・ジャズを演奏
[メンバー: 富樫(ds)、山下(p)、滝本国郎(b)、武田和命(ts)]
渡辺貞夫(as)のセッション・バンドに参加
音楽上の意見の相違から2カ月後退団
以後一度も他人のグループに所属せずに活動
自己のトリオを結成[山下洋輔(p)、 紙上理(b)、 本庄重紀(ds)]
初リサイタル開催(紀伊国屋ホール)
トリオに加え、武田和命(ts)、本田竹彦(p)、吉沢元治(b)、豊住芳三郎(ds)、渡辺文男(ds)が出演
滞日中のエルビン・ジョーンズ(ds)との伝説的ジャム・セッションに参加(ピットイン)
この頃、筒井康隆と出会う
トリオのメンバー変更[山下洋輔(p)、吉沢元治(b)、豊住芳三郎(ds)]
唐十郎率いる劇団「状況劇場」と共演
2月「ジョン・シルバー」(ピットイン)
8〜10月「月笛お仙・義理人情いろはにほへと篇」(新宿花園神社赤テント)
ケネス・レクスロス、白石かずこの「詩とジャズの会」にトリオで出演(ピットイン)
中村誠一(ts)が加わり、カルテットとなる
ドラマーが豊住芳三郎から森山威男に替わる
大和屋竺監督の映画「荒野のダッチワイフ」(国映)の音楽担当、出演
国立音楽大学卒業
田村洋子と結婚
急性肋膜炎で倒れる
病気のため演奏活動の中止を余儀なくされ、「ブルーノート研究」を執筆
後に「音楽芸術」誌に掲載され高い評価を得る
伊豆で療養生活
演奏活動にカムバック、《山下洋輔トリオ》を結成
[山下洋輔(p)、 中村誠一(ts)、 森山威男(ds)]
早稲田大学4号館バリケード内で演奏
東京12chの番組「ドキュメンタリー青春」(演出:田原総一朗)で放映される
71年、麿赤児が「DANCING古事記」として自費リリース、トリオの記念すべき処女作となる
「日本ジャズ協会」設立記念のジャズ・フェスティバルに出演(日比谷野音)
富樫雅彦ESSGとのジョイント・コンサート開催
(「コンサート・イン・ニュージャズ」、於: サンケイホール)
ピットインのグループ賞を受賞
「ブルーノート研究」を自費出版