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Biography 70's
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1970

音楽活動

秋頃、トリオに高木元輝(ts)を加え、カルテットで活動する

コンサート「ミッドナイト・ジャズ」を開く(ヤマハホール)
[出演: 山下トリオ、高木元輝(ts)、豊住芳三郎デュオ、藤川義明グループ、於: ヤマハホール]

山下トリオ+高木元輝(ts)で「アーバン・ジャズ・コンサート」を開催
音が隣の大ホールで行なわれていた読響「第九」演奏会にまで響きわたる
後日読響が『小ホールの騒音のため御迷惑をおかけしました』と新聞に謝罪広告を掲載

音楽以外の活動・できごと

岩波ホール・ジャズ講座で「ブルーノート研究」について講演

この頃から筒井康隆との交遊始まる

音楽誌「ライト・ミュージック」に「風雲ジャズ帖」連載開始

1971

音楽活動

第1回青森ジャズ・フェスティバルに出演。トリオへの飛び入りで渡辺貞夫(as)が演奏

渡辺貞夫(as)とのジョイント・コンサートに出演
(渡辺貞夫カルテット・ミーツ山下洋輔トリオ」於: 久保講堂)

「ドイツ・ジャズ・オールスターズ」で来日したマンフレート・ショーフ(tp)と共演

東京工業大学流民祭で麿赤児と共演
(この年にリリースされたアルバム「DANCING古事記」の発売記念イベント)

「中津川フォーク・ジャンボリー」に出演、の予定が、暴動のため出演不可能に

音楽以外の活動・できごと

長男康輔誕生

1972

音楽活動

フォーク・コンサート「音搦大歌合」に出演(日本武道館)
五十音順の出演で、三上寛、山下洋輔トリオ、吉田拓郎の順に演奏

三上寛(vo)、浅川マキ(vo)とジョイント・コンサートを開く(渋谷公会堂)

若松孝二監督の映画「天使の恍惚」の音楽担当および出演

「トリオ+ブラス12」で坂田明(as)と共演(ピットイン)

急性肝炎で倒れた森山に代わり、一時渡辺文男(ds)、古澤良治郎(ds)を加えたカルテットで活動

トリオのサックス奏者が中村誠一から坂田明に替わる[山下(p)、 坂田明(as)、 森山威男(ds)]

音楽以外の活動・できごと

公演旅行先の福岡でタモリに遭遇
博多のホテルにタモリ(森田一義)が踊りながら乱入した伝説的出会い
これが縁で上京したタモリは、以後テレビで大活躍する

赤塚不二夫編集「まんがNo.1」付録ソノシート「ペニスゴリラ、アフリカに現わる」レコーディング
山下は小学校時代の恩師、乙骨健太郎教授役を演ずる

1973

音楽活動

三上寛(vo)、浅川マキ(vo)と青森で公演

ロック&フォーク・コンサート「春一番」に出演(大阪・天王寺野音)

粟津潔宅の裏山で燃えるピアノを弾く。ほるぷ出版の教育用レコードに収録
粟津潔のフィルムは後にニューヨーク近代美術館(MoMA)の収蔵作品となる

「インスピレーション&パワー14 フリー・ジャズ大祭」に参加
(於: 新宿アートシアター)

浅川マキ(vo)とジョイント・ツアー

佐藤允彦(p)と「ピアノ・デュオ・コンサート」を開催(朝日生命ホール)

1974

音楽活動

初のソロピアノ・コンサート「ヨースケ・アローン」を開催(日本都市センターホール)

初のヨーロッパ・コンサート・ツアー。各地で大喝采で迎えられる
西ドイツのメルス、ユーゴスラビアのリュブリアナ・ジャズ・フェスティバル等で演奏

秋に2度めのヨーロッパ・ツアー
「ベルリン・ジャズ・フェスティバル」、「ドナウエッシンゲン現代音楽祭」(西ドイツ)に出演

「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」の来日公演にゲスト出演する
(京都: 円山野音、東京: 郵便貯金ホール)

音楽以外の活動・できごと

FM東京「サウンド・フォーカス・イン」のDJを1年間担当

1975

音楽活動

「フローズン・デイズ」コンサート・ツアーを行なう

来日中のマンフレート・ショーフ・セクステットと共演(イイノホール他)

3度めのヨーロッパ・ツアー
ハイデルベルク、メルスのジャズ・フェスティバルをはじめ西ドイツの20カ所で演奏する

浅川マキ(vo)、泉谷しげる(vo)とのジョイント・コンサートに出演
(京都: 円山野音、東京: 日比谷野音)

新宿ピットインで初の「5デイズ・セッション」を行なう
向井滋春クインテット、SMCオーケストラ等と共演。「ピットイン5デイズ」は以後恒例になる

山下の個人レーベル「FRASCO」(日本フォノグラム)発足

トリオのドラマー森山威男退団

音楽以外の活動・できごと

「全日本冷し中華愛好会(全冷中)」結成、山下自ら会長に就任
機関紙「冷し中華」第1号発行

処女エッセイ集「風雲ジャズ帖」(音楽之友社)を出版

山下洋輔、奥成達が発起人となって草野球チーム「ソークメナーズ」結成

1976

音楽活動

森山威男に替わり小山彰太入団[山下洋輔(p)、 坂田明(as)、 小山彰太(ds)]

作家河野典生宅でセッション。トリオ、河野一家、奥成達、平岡正明他が参加
後にレコード「ジャムライス・リラクシン」に結実

4度めのヨーロッパ・ツアー。スイス「モントルー・インターナショナル・フェスティバル」に出演
東西ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギーのコンサート、フェスティバルなど30カ所で演奏

大駱駝艦公演「嵐」にジェラルド大下(reeds)を加えたカルテットで出演(日本青年館)

音楽以外の活動・できごと

全冷中機関紙「冷し中華」第2号発行

エッセイ集「ピアニストを笑え!」(晶文社)出版

タモリの初ステージをプロデュース(新宿厚生年金会館)

1977

音楽活動

5度めのヨーロッパ・ツアー。「メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル」他に出演

アデルハルト・ロイディンガー(b)を招き、デュオ・コンサート・ツアーを行なう

油井正一プロデュースによる「ジャズ街の散策/山下洋輔〜燃えるピアノ」に出演
(於: 東京郵便貯金ホール)

6度めの渡欧。ワルシャワの「ジャズ・ジャンボリー」出演他ポーランド・ツアー

音楽以外の活動・できごと

全冷中機関紙「冷し中華」第3号、第4号発行

エッセイ集「ピアノ弾きよじれ旅」(徳間書店)を出版

「第1回冷し中華祭り」開催(読売ホール)。会長の座を筒井康隆に譲る
(出演: 山下トリオ、矢野顕子、三上寛、東京ヴォードヴィルショー他多数)

全冷中編「空飛ぶ冷し中華」(住宅新報社)を出版

バー「ジャックの豆の木」の閉店バス・ツアーで水上温泉へ

「全冷中秋祭り一橋大会」(一橋大学兼松講堂)、「冷し中華大阪場所」(大阪中之島公会堂)を開催

1978

音楽活動

7度めのヨーロッパ・ツアー
「ノース・シー・ジャズ・フェスティバル」(オランダ)他に出演

「サマー・フォーカス・イン'78」(日比谷野音)に出演、「生活向上委員会」と共演

河野典生とインド旅行
インドのジャズ・ミュージシャン、ストリート・ミュージシャン等とセッションする

「砂山コンサート」を開催(ヤクルトホール)
[ゲスト参加: 岡野等(tp)、 向井滋春(tb)、 清水靖晃(ts)、 杉本喜代志(g) ]

音楽以外の活動・できごと

葉山に転居

「第2回冷し中華祭り」を開催(平和島温泉)

相倉久人他編「山下洋輔の世界」(エイプリル出版)出版される
山下について書かれた論文、レポートの集大成

全冷中編「空飛ぶ冷し中華part2」(住宅新報社)出版

エッセイ集「ピアノ弾き翔んだ」(徳間書店)出版

1979

音楽活動

ソロ・コンサート「インヴィテイション」を行なう(フジテレビ・ギャラリー)

三宅榛名(p)と共演(渋谷・ジァンジァン)

武田和命(ts)と10年ぶりに再会

「ゴールデンウィーク 6デイズ・セッション」開催(新宿ピットイン)
[武田和命(ts)、 国仲勝男(b)をフィーチャー。ドラマーは村上ポンタ秀一、古澤良治郎等]

沖縄出身のベーシスト国仲勝男のデビュー作「暖流」をプロデュース

8度めのヨーロッパ・ツアー
「ミュンヘン・ジャズ・フェスティバル」(西ドイツ)他に出演

初めて渡米、トリオで「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演

トリオのサックス奏者、坂田明退団

音楽以外の活動・できごと

筒井康隆、タモリ編「定本ハナモゲラの研究」(講談社)出版

「全冷中冠婚葬祭の葬儀編」を開催(六本木ピットイン)。これをもって全冷中解散

対談集「セッション・トーク」(冬樹社)出版

エッセイ集「ピアニストに御用心!」(晶文社)出版

前年の河野典生とのインド旅行を「インド即興旅行」(徳間書店)にまとめ出版