12月号イラスト
イラストレーション:火取ユーゴ

山下洋輔の文字化け日記

第95回 2009.12月

侵月略日。「思い」という言葉の安易な使用は国を滅ぼすと言っているのに、新首相はますます得意げに使う。メディアも無自覚でもはや「思い星人」の日本侵略は完了寸前だ。天田透(fl)氏と共に地球防衛軍に参加している者としては、最後の一人になるまで戦うしかない。

袋月井日。袋井の不思議空間「樂土舎」でソロピアノ。この日の為に半地下のステージを作って迎えてくれた。控室は石作りの茶室で、寝転がっていると里山の風が心地よく思わず昼寝をした。主催者首領のマツダイチロウさんは陶芸家で、他の一味の方々も夫々の分野での専門家だ。舞台にも応用されていた石垣の積み方なども話題になる野外でのお仲間全員参加の打ち上げに陶然とする。

薩月摩日。先祖の地薩摩で「島津斉彬生誕二百年記念イベント<響彩時空>」に参加。副題に「斉彬そして山下啓次郎に捧げる」とある。篤姫の養父斉彬は西郷隆盛を取り立てた。西郷の部下として戊辰戦争を戦った曽祖父の山下房親がお目通りかなった筈はないが、その子供の祖父啓次郎が司法建築家になって、明治時代に鹿児島に石造監獄を造り、大正時代に尚古集成館の玄関を建て増した。この石造りの尚古集成館は、斉彬の先見の明で造られた集成館を受け継ぐ西洋工業文明の実践工場だった。こういう縁を取り上げていただいたようだ。

会場は島津家の別邸のある「仙巌園」。錦江湾と桜島を一望におさめる。昼間には貴重な郷土芸能が披露され、夜になるとまず雅楽が奏された。それから島津義秀氏の薩摩琵琶が裂帛の気合いで夜空にこだました。その後に特設ステージでソロピアノを弾き始めると、一天にわかにかき曇り突風が吹き荒れて桜島が灰を吹き上げた。しかし4曲目に「レクイエム」を弾いたらぴたりとおさまった。「これは来ていたかな」とあとで取りざたになった。

翌日は島津家三十二代ご当主の島津修久氏にご挨拶し、夜は三十三代の忠裕氏と会食。忠裕氏が大のベイスターズ・ファンと分かって喜ぶ。すぐに応援歌のジャズバージョンも含むさまざまなグッズをお送りする約束をした。記念撮影では若殿をはさんで、尚古集成館長の田村省三氏、島津興業企画広報室長の有村博康氏が居並び、夫々ぴったりご家老と剣術指南役に見えた。示現流高弟の有村さんは1986年の「旧監獄保存運動門前ピアノ持ち出し鹿大ジャズ研メンバーと大セッション」をクライマックスにした「ドバラダ騒動」からの戦友だ。

スタジオ月パーク日。NHKスタジオパークに出演。稲塚貴一さんとの司会コンビの武内陶子さんは、なんと初めてのジャズライブ体験がニューヨークの「ニッティング・ファクトリー」でのセシル・テイラーだったという超エリート(!)だ。以後普通のジャズを聴いてもどこか「?」となる数奇な運命をたどられた。そのことを事前の打ち合わせで知ってすっかりリラックスして、絶妙なセッション相手となってくれた武内さん相手に日比谷野音での四十周年から、燃えるピアノから、猫返し神社縁起まで喋りまくった。最後はソロ演奏で「トリプル・キャッツ」。これは後日反響が大きかったです。

葵月ケイ日。イトコのケイコちゃんはクラシックの声楽出身だがニューヨークで二十年間お店をやって色々なミュージシャンとの出会いを作ってくれた。その日本でのリサイタルに駆けつける。葵ケイ・山下洋輔・デュオコンサート。主催・思い出のマンハッタン実行委員会、共催・川口総合文化センターリリア、演出・長澄修、音響・実吉英一、照明・飯塚登。一部はジャズのスタンダードに加えて、ピアノソロ「やわらぎ」、オリジナルミュージカル「ぬまばあさんのうた」から作曲玉麻尚一・作詞長澄桃子の「あさひの泉」などをやった。二部ではケイコちゃんがビリーホリデイに扮したコーナーがあり、さらに「宵待草」「Memory is a Funny Thing 」(作曲山下洋輔・作詞葵ケイ)「Only Look at You」(作曲山下洋輔・作詞葵ケイ)「心をひとつに」(作曲James Horner 作詞葵ケイ)をやり、アンコールはソロでボレロ、デュオで「It Don't Mean a Thing」。どれも楽しかったが、クラシックの発声で「Only Look at You」を熱唱してくれたのは感激でした。

声優月口演日。こちらも親戚と言ってよい声優の羽佐間道夫さんとリハ。オリンピック実況十一回の名スポーツアナ羽佐間正雄氏は兄上だが、その究極話をミッチャンがしてくれた。ミュンヘン・オリンピックでアフリカの男子ハードルの選手とソ連の女子重量挙げ選手にすごい名前があって、これが予選を通ると決勝で実況放送をしなければならない。非常に困ったが、幸い二人とも予選落ちしてほっとした。日本国中にその声と名前が流れる公営放送のアナウンサーの苦悩を共有するため、あえて伏せ字を使わずにご報告する。前者は「チンポタッタカ」後者が「アカマンコビッチ」。