音月感日 音楽大学で出会う生徒には絶対音感の持ち主が多い。その場合、ジャズのアドリブフレーズを作る時に便利な、フレーズや和音進行の平行移動が難しいことがあるらしい。移動ドを活用すれば、例えばキーがCの時の「レミファラ・ソファミレ・ド」というツー・ファイブ・ワン進行に当てはまるフレーズをそのまま十二の調に当てはめることが出来る。キーがDbだったら、Ebの音からそう読んでフレーズを作ればよい。ところが、絶対音保持者または固定ド教育の場合はそれが気持ち悪くて出来ない。そのフレーズは「ミ(b)ファソ(b)シ・ラ(b)ソ(b)ファミ(b)・レ(b)」と認識するしかない。どれがいいとは言えないが、便利さから言うとこの場合は移動ドの方がよさそうだ。移動ドは中心音がピアノの鍵盤の間の音だったなどという民族系との遭遇でも役に立つ。
しかし、クシャミさえ音程に聴こえる絶対音感の神秘の世界はうらやましい。特に猫の声を聞く時にそう思う。こいつ今何の音で訴えているんだろうって、分かりたいですよね。それである時ピアノに走っていって調べたら、小猫コンビのリーちゃんがBb、ピロちゃんがその下のEとFの間だった。そうかそうかって、なんとなく安心する。その音ならアドリブにいくらでも使ってやれるからねって、そんなこと約束してどうするの。
晴月海日 晴海トリトンスクエアの第一生命ホールでソロ・コンサート。1996年にお茶の水のカザルスホールで始めて以来毎年この時期にやって13回目になる。2003年からこの会場に移って向島の桜と対決だ。第1部「Round Midnight」「Driving Fuga」「Triple Cats」「Memory Is a Funny Thing」「20th Theme」、第2部「バッハ・無伴奏チェロ組曲第一番ト長調プレリュード」「In F Fragments」「Divers Cosmos」「Only Look at You」「Bolero」。アンコール「Autumn Leaves〜It Don't Mean a Thing」。ほとんどがニューヨーク・トリオの新譜「Triple Cats」と重なる曲だ。期せずしてって、実は期していたけど、ソロ・ヴァージョンによるプロモーション演奏となった。新譜の取材はありがたいことに二十本近くあったが、必ずしも猫好きの記者さん集合というわけではなく、二十年同じメンバーで続くバンドというのが今や珍しいらしい。なぜ続いたかと聞かれて、色々答えたが、結局はだらだら楽しんでやってるのがいいのだろうと今気づいた。終演後サイン会。毎年来てくれる人初めて来てくれた人に感謝し、サインと共に衝動的に猫の顔を描いたりする。終わって恒例の親戚集合の打ち上げに行くとコルシカ島にいるはずの画家の松井守男がいてびっくり。彼との往復書簡を「サンケイ・エクスプレス」紙に連載し始めている。
名古屋で同じプログラムでコンサート。終演後主催者の高田ジュニアと居酒屋「伍味酉」に。ここはニューヨーク・トリオでも来たところでその時は高田ジュニアの父上が引率していた。別の年に焼き肉屋に行った時には、高田さんのあまりのニンニクヘの偏愛に一同が「ガーリック・マン」のあだ名を献上したことがある。療養中のガーリック・マンの健康を祈って乾杯。ジュニアから「ピアノ炎上」の事を聞かれてあらためて反芻する。
同じジュニアつながりで、粟津潔さんご子息のケンさんの話になった。粟津事務所を引き継いでプロデューサーをやっているケンさんは、中学生の頃、粟津邸のそばで行われた「ピアノ炎上」を目撃していたのだ。「今日は面白いことがあるらしいよ」と父上に言われて、学校から早く帰ってきたという素直な子供だった。するとピアノが燃されてそれを男が弾いていた。以後35年間そのことは忘れていなかった。今回の金沢21世紀美術館での父上の展覧会では、さまざまなイベントの企画に参加したがその中に「ピアノ炎上」フィルムと生身の山下の共演も含まれていた。やがて「折角だから実演も」の案が出た時にも強力な推進者となって、一度は挫折した美術館の庭での炎上計画を、ご先祖の出身地という縁で父上がシンボルマークを描いた能登半島の旧富来町の海岸で実現させたのだ。
目元がお父上そっくりの長身のケンさんが何よりもこの出来事に意義を感じてくれていた。35年前と今回と両方に立ちあっていた唯一の人類はこの人だけなのだと思うとこちらも唯一無二の縁を感ぜずにはいられない。
能登海岸には、前回見損なったことを悔やんだ(?)知り合いが何人か来ていた。京都、東京、長野から日帰りで来たと後で知った。後日、ロイター通信もTVインタビュー取材にきたので世界にも配信された。松井守男もフランスで見て「あれに負けずに燃える」とファイトを燃やして(!)いる。ニューヨーク・トリオのメンバーには黙って写真を送りつけて「こんな奴は知らないと言わないでくれ」と送り状をつけた。二人とも面白がってもっと情報をくれと言っている。趣意書と新聞記事を英訳してもらっているところだ。
「CDジャーナル」2008年6月号掲載
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