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muji . 2004.03 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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新年到来して様々あるが、旧年のNYトリオ・ツアーが継続中だ。

11月9日。京都へ前乗り。主催のライブハウス「ラグ」の須田夫妻と鳥鍋を囲む。NYトリオ初期からの縁で、フェローンはここで木魚と初対面している。今回それを持参して「ヘイケ・キッズ」で叩きまくっている。CDに参加の笛の藤舎名生先生が京都住まいなので、この「ラグ」での8回目と9回目のライブにご参加願った。楽屋で聞けば、昼間は舞妓さんに教えていたとのこと。なるほど満員の客席にはあでやかに白塗りして日本髪に黒い着物を来た舞妓さんの姿がある。パシフィック・クロッシングここに極まった。今回のツアーでは、メンバー紹介の時に人気ブランド「セシル・マクビー」問題について話すことにしているが、ここ京都の地下鉄では通学鞄にそのシールを貼っている女子高生を「ラグ」のスタッフが目撃した。丁度ビデオカメラを持っていたので証拠に撮ろうとしたが、地下鉄の中で女子高生にカメラを持って迫っていくのは、タイホの危険もあるので、断念したという。

11月12日。沖縄・第10回。主催琉球放送。NYトリオでは初めてだが、こちらは復帰の年1972年に来ている。その時は人の家に泊めてもらった。玄関に大きな泡盛のカメが柄杓と共に置いてあって、出入りのたびに飲んだらヘロヘロになった。NYトリオでのレパートリー「パイカジ組曲」に出てくるベースラインは、その頃に聞いた照屋林助さんの曲の節だ。敬意を込めて「パイカジ組曲」をプログラムに入れた。打ち上げには旧友の画家、真喜志勉氏ご夫妻の顔も見える。「オキナワ・ショーチュー・アワモリ」の魔力に逆らえる者はおらず、全員朦朧。日本ツアーの歴史で彼らが得た最大の成果の一つは、ショーチューの発見だ。翌日のオフ日は皆は海辺に行って美飲美食を満喫した。こちらはスタジオで練習。夕食に落ち合って民謡酒場へ。最後のカチャーシーでフェローンはステージ前のフロアに飛び出して踊る。泡盛は飲むにつれて両手がだんだんと上に上がってひらひら動くようになる。これ不思議だが本当の話。

11月14日。福岡。主催サーチ&キー。ここも古い。最初の時にフェローンは散歩で筥崎八幡宮に入って行き宮司さんに親切にされた。やがて女性を紹介されたが、その名前は「ミーコ」だった。これは後に巫女のことと判明。宮司さんは巫女さんとフェローンを並べてにこにこして眺め、「アー・ユー・シングル?」などと聞くので、フェロンは頭から「?」マークを「???????」と出しながら帰ってきた。その日楽屋に宮司さんからの酒が届いた。今回も行って、旧交を暖めた。楽屋に届いた酒には「お供物」と書いてあったが、神様のものをとってきたのか。

11月15日。日田。主催は江田憲介さんを中心とする実行委。この街も江田さんに呼ばれて、このところよく来る。毎年、江戸時代からの作り酒屋「薫長」の中庭の特設ステージでソロピアノをやっている。今日は昼間、市民芸術祭があってクラシックから軽音楽から子供の歌や踊りまで華やかに繰り広げられているが、そのうちの特別編成の親子合唱団と二曲共演する。「あんたがたどこさ」と「大きな古時計」を指揮の本河毅先生ともどもスイングしまくった。夜はNYトリオ公演。楽屋に焼酎のなんと二升五合瓶が届く。その大きさに皆驚いて「マグナム・ショーチュー」と命名。翌日の酒蔵見学では冨安マダムの流暢な英語に二人は喜んで、酒、焼酎について質問攻め。マダムは時々「それは話せば長くなるので」と企業秘密を厳守。

11月16日。広島。前乗り。主催広島クアトロ。お好み村に繰り出す。屋台でありとあらゆるものを食べて大満足し、サインなどして帰りかけると、別の屋台に女子高生がたむろしている。以前大阪でしたように思わず声をかけた。「君たちセシル・マクビーって知ってる?」「知ってるー!」「この人がセシル・マクビーだよ」「えーほんと」「キャー」ってんで、すぐにセシルと腕を組んで記念撮影。どういう文化現象なんだろうね。

11月18日。釧路。主催JFK。ここはもう30年のつきあいで、NYトリオでも6回目。主催の宮越氏の御子息が楽屋に来る。赤ちゃんだったのが、今はアイスホッケーの高校日本代表だって。皆で体を触ったりする。打ち上げはジャズ関係の旧友集って夜更けまで。おれは例によってエノさんと囲碁。お互い酔っぱらって途中でウヤムヤとなる。

11月19日。盛岡。前乗り。主催瀬川さん。宿舎の隣に啄木・賢治の記念館があるが、この旧第九十九銀行の建物由来の年表におれの名前があるのにびっくり。これを設計した横濱勉氏はうちのじいさん(明治時代の建築家)の一番弟子だということで、その紹介で名前を出された。誰かこちらのジャズ者が入知恵したのかなあ。本番後の打ち上げは、奥州列藩のジャズ長老がずらりと列席、一般参加者も多数参加で大宴会となった。「ベイシー」の菅原さんとは少し話が出来たが、あとはぐじゃぐじゃの饗宴の中、NYトリオ15周年15回公演は無事終了した。関係者の皆様にあらためて御礼申し上げます。


「CDジャーナル」2004年3月号掲載
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