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. | 2003.08 | . | ||
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. | イラストレーション:火取ユーゴ |
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果月物日。皆さまはおフランスのスーパーでお買い物をされたことがおありでしょうか。果物をそのままレジに持っていくと、泥棒とまちがえられます。戻れ戻れという仕草に、どういうことかと思案していると、親切なホモ男(とは決まってないけど)が現れて教えてくれた。果物は種類ごとに秤に乗せて、出てくるレシートを袋に貼ってその袋に果物を入れる。バナナはバナナ、オレンジはオレンジ、釘は釘、紙は紙ってこれは落語の「浮かれの屑」だけど、そういうわけで、「あは〜ん、オマタ、また、お利口になっちゃったあ〜」っていうフレーズも思い浮ぶような発見でございました。 帝月国日。帝国ホテルの近くでタクシーに乗ったら、座席にホテルの部屋の鍵らしいものが忘れてある。運ちゃんに言うと「あ、あの人だ」と今降りたばかりの外人夫婦を指さした。そういえば、車内にはまさに「むせかえるような高級香水の匂い」が充満している。降りてロビーまで追いかけて呼び止めた。鍵を渡すと、映画から抜け出てきたような高級な身なりの白髪の夫妻はびっくりしつつ「ありがとう!」の連発。「何と親切な人のいる国でしょう」などと言って金を差し出して手渡そうとする。「いいから」と言うまもなく渡されてしまう。嫌ならさっさと逃げてくればいいのに、受け取るのはやはりイヤしいバンドマンだ。車に戻って見ると百ドル札が二枚。運ちゃんと山分けにすることにした。百ドル札を手にしてとまどう運ちゃんに「どっかで両替出来るはずだから」などと言う。随分前の話で、まだレートは高い頃だった。まるで終戦直後か映画「八月十五夜の茶屋」風だが、なぜか急に今記憶が甦った。ただし、あの金をどうしたかはさっぱり記憶がない。確かにあのまま黙って鍵を取って、隙をみて部屋に入り込んで根こそぎカッパらうという人間もいるだろうから、感謝される理由は分かる。 スタ月パ日。NHKスタジオパークに出演。昼間っから鍵盤を平手打ちするフィルムが流れるなど暑っ苦しいオープニングで恐縮する。生でも肘打ちを見せろというので、恐縮しつつ「ぐがん」をソロで演奏。紹介フィルムは69年の早稲田のバリケード内演奏のドキュメントや、米国シンシン刑務所内での囚人たちとのセッションなどもあって、ますます恐縮だ。ちなみにバリケード内演奏フィルムの使用権は某局が持っていて使用料は一秒いくらなどべらぼうに高い。N局以外では手が出せないとも言われる。 刑務所セッションは、明治時代に監獄を設計した祖父の足跡をたどるという以前のテレビ番組からのもの。更生プログラムにジャズを習得するというコースがあって、それをやっている人たちとステージで演奏し、入所者が聞くというものだった。ちなみに現場では「プリズナー」ではなく「インメイト」という。日本でも囚人とは言わないはずだ。入所者でいいのかどうか定かでないままに書いているが、その入所者演奏家仲間が「この間まですごく上手いサックスがいたのだが、出て行ってしまって残念だ」と価値観が混乱することを言っていた。その頃シーンから消えていたサックス奏者がいなかったか、思わず考えてしまった。 そのスタパでは、かつてあった「全日本冷し中華愛好会」の話を一コーナーでとりあげた。打ち合わせの時に、思わずべらべらしゃべったら、アナウンサーの顔に限りない疑惑の表情が浮かぶのに気づいた。これは全部冗談だから、ということが伝わった瞬間から、爆笑に転じてくれたのは助かった。たしかに、よく考えてみると昨今のカルト集団の要素が全てあることに気づく。「冬にも冷し中華を食わせろ」という最初の動機はすぐさま「そのような矮小な要求だけでは世の中は変わらない」という過激派の思想にとって代わられる。それを中心にして、ありとあらゆる議論が巻き起こる。言い出しっぺの本人(つまりおれ)が、そのまま初代会長というものにおさまりかえり、勝手に元号を「冷中元年」と定める。疑似国家を作って何々省などと称していたカルト集団もあったが、元号までは定めなかっただろう、どうだ!って威張るのもどうかと思うが、そういうわけで、たとえば最近の白装束集団報道を見てあらためて気がついたのは、こういう集団には必ず「敵」が必要だということだ。これもちゃあんとやっておりましたよ。ある日、わしは急にこう言い出したのだ。「敵は、<東アジア・マントル連合>の馬鹿者どもである」以来、全ての不都合は「東アジア・マントル連合の馬鹿者ども」(後にはここまでが正式名称になった)の仕業になった。他にも全員がバスでさすらうアイディアも浮上していたし、言い出すときりがない。ご興味のある方は、晶文社「へらさけ犯科帳」収録の「冷中顛末記」をご参照ください。 スタパには「全冷中二代目会長より初代会長へ・・・・」という言葉を含む筒井康隆さんからのメッセージがよせられた。二代目会長の筒井さんは元号を「鳴門元年」と定めたのだ。 「CDジャーナル」2003年8月号掲載 |
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