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. | 2003.04 | . | ||
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. | イラストレーション:火取ユーゴ |
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銅鑼月慰撫日。1月のリサイタルのあと予定していた長期休暇を、今年もドライブにあてる。朝の3時に自宅を出発。あまりに早く名古屋に接近したので、東名を浜松ICで降りて時間調整の為に下を走る。これが朝のラッシュに遭遇して大失敗。ようやく豊橋を抜けて、豊川ICで乗り直す。名古屋ICを降りて一路市内の山本屋へ。元祖、本店、本家など入り乱れるなか、大津通りの近くのしゃれた店へ開店と同時に進入する。味噌煮込みうどんに、漬物に、ご飯に、朝ビーを堪能した。あらためて女房運転で西に走り、夕方には岡山に接近する。地図やナビから得た情報を携帯で確認してIC近くの温泉旅館を予約して転がり込む。車と地図と携帯があれば、この世は神出鬼没ですね。 四万月十日。翌日、瀬戸内自動車道で四国に渡り、高知自動車道に入る。大雨が降りだし、すごい山道とトンネルと目茶目茶にツメてくる後続ドライバーに生きた心地がしなかった。追い抜いてもらおうにも車線がないのよね。おかげで高知までは早かったが、その先は一般道を延々と百キロ以上走る。ついに午後3時頃に着いたのが、四万十川のある中村市だ。知り合いの柳川さんのお世話で、早速、船大工の船辰さんの船に乗せてもらって四万十川に浮かんだ。それから、沈下橋を見て、温泉のある「いやしの里」へ行く。その広場にある超巨大な芸術物体はゲージツ家のクマさんの作だった。運転手さんが「あれはレオナルド熊さんが作ったらしいですよ」というのが可笑しい。 夜は関係者が集まって宴を開いてくれた。中村市は市立の交響楽団を持つクラシック音楽愛好都市で、毎年海外からアーティストを招いて音楽祭をやっている。こちらは、94年にジャズプログラムで出演したり、去年の2月にベルリン・フィル・シャルーン・アンサンブルと林英哲のジョイントに提供した新作がここで世界初演だったり、最近の記念のパンフレットに寄稿するなど、縁が続いているのだ。ドラムも叩くタクシー会社社長、アルミ建材店経営者、画廊経営マダム、元中村高校野球部監督、加えて、元中学校の先生や柳川さんを含む音楽家主婦のお三方は交響楽団員に名を連ねている。ポンズをかけない独特のカツオのたたきなど、豪華な食べ物が勢ぞろい。こちらの祖先が薩摩であることをご存知の方もいて、酒と焼酎で談論風発、現代の土佐・薩摩連合もかくやと盛りあがった。最後は甲子園であの中村高校旋風を巻き起こした時の監督さんの歌う朗々たる「カロ・ミオ・ベン」でおヒラキとなった。いやあ凄いところだなあ。 滋賀月大津日。翌日は宇和島経由で北に上り、その後、ただただひたすら四国を西から東に横断。道後温泉も讃岐うどんもどんどん飛び去り、高速のもくずと消える。隣りで女房がぶつぶつ言うが、とにかく余裕をもって明日中には帰宅していなくてはならない。走るだけなんよね。PAの食堂で「ジャコテンうどん」というものにありついて、せめてこれが讃岐うどんの一種だと思い込むことにした。折角なので、帰途は淡路島を縦断するが、見えるものは道路と山と遠くの海だけだ。いったん降りて漁港でのんびりだの、名物の魚料理の民宿で一休みなどは、こちとらに縁がない。どんどんすっ飛ばして垂水ジャンクションで本州に上陸する。その日の宿を滋賀の大津と定めて、地図やナビで探した。ICの近くに温泉宿を見つけて走りながら携帯で予約した。夕暮れ時で込み合う大阪、京都を抜けて、無事到着。 風呂を浴びて食事にありつく。ビールが美味い。酒も飲む。旅館ではどこでも出てくるサシミが苦手なので何とかならないかといつも困っている。今晩も近江牛の陶板焼きの中にぶち込んでしまおうかと思ったが、近江牛が非常に美味しかったので、思いとどまった。後片づけにきたのは帰国子女が和服を着たようなキリっとした若女将で、京都での京響との「バレンタイン・コンサート」のことを前触れ無しに言い出した。それがマナーなのですかね。抽選のようにしてとったチケットが、知りあいと離れた席になった、何とかならないか、というもの。これはもはやどうにもならない。当日、その席の人の所に行って、代わってくれなければコロスなどと交渉するしかない。 帰月宅日。朝食は要らないと言ってある。起きるやいなや、まだ暗いうちに出発する。とにかく先に早く行きたいのは、明治維新以来のオマワリの家系のせいか。先に行って全部調べておく。それから待ち伏せするという習性だ。親族が集まるときも、15分前には全員揃っている。外から来た嫁は最初はびっくりするが、やがて順応する。巨大な富士山を眺めつつ走り、午後には自宅に到着。延べ走行距離約2300キロ。3泊4日ドライブ。意識のある時のほとんどは車の中だ。「一体これは何だったのか」いぶかる女房に、「これも修業だ」とわけの分からぬことを言いはって、また企てようとするバンドマンの休日でありました。 「CDジャーナル」2003年4月号掲載 |
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