. . . . .
muji . 2002.10 .
. . .   .
. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
.
 

 皆様はご趣味というものはいかがでしょうか。当方は囲碁というものを好んだせいで、今やヘタの横好きがザルの中で縦漬けになっている有り様だ。古来、一定の支持者はいるが地味な分野と思われていたこの競技が、昨今、多数の小学生が日本棋院に詰めかけるというサッカーもかくやという大ブームになっている。「ヒカルの碁」というマンガが大ヒットし、テレビアニメにもなったのが原因だ。小学生の男の子に平安時代の囲碁打ちの怨念が乗り移って始まる成長物語で、修業と上達、ライバル、友情、ガールフレンド、師匠、などのシチュエーションはほとんどのそれ系と同じ。これが永久のヒットパターンなんですね。

 それならジャズも「ヒカルのジャズ」というマンガを作ろうという話になった。「おお、ヒカル、ついにツー・マイナーセブン、ファイブ・セブンをマスターしたな。もうどこへ出ても大丈夫だ」。それで、ジャムセッションに行くと、山下鬼左衛門雲助などという奴が現れて、ひじ打ちの連発。「げ、こんな手があったのか!」とのけぞるヒカル。「今までぼくのやってきたことは何だったのだ!」と叫んで、駈け去る。まだまだ修業は続くのであった。誰の怨霊が取りつくことにするのかは難しい。パーカーでもパウエルでもデイヴィスでも実はクスリ欲しさに取りついたという心配はあるからね。「ついにヒカルはジャンキーになったのであった」ではいかんもんね。ジャズは色々難しいです。


紐月育日 NYは「イリディウム」というジャズクラブに一週間の出演。この店の場所は51番街とブロードウエイの角という、ミュージカル劇場街のまっただ中で、「ウィンター・ガーデン」劇場と「スターダスト・カフェ」にはさまれている。ここで、おのぼりさんを奪い合うという戦いになった。というのも、ここはヴィレッジの店のように、バンド仲間が気軽に楽屋に来るのも大変で、招待も一人一日一人、それもドリンク代ミニマム10ドルはいただくというしっかりした店なので、仲間が気軽に寄ってバーで騒いでいるということができない。火曜日から日曜日まで6日間連続で計14セット、入れ替えあり、というのはNYだけで起きる特殊過酷労働条件だ。


紅月雨於日 長いことハリウッドに移っていたテナー・サックスのベニー・ウォレスが初日に客で来ていた。今はコネティカットにいて、NYで活動を再開している。土曜日に夕食を一緒にして、ヨーロッパでの最初の出会いから、第1回「マウント・フジ・ジャズフェス」での初来日から、今日までの四方山話をする。楽器を持って来てくれたので、1曲飛び入りしてもらう。最初のセットの2曲目に「ブルース・ヤマシタ」を吹いてくれた。

麿月赤兒日 同じ週に「ジャパン・ソサエティ」では麿赤兒率いる「大駱駝艦」が公演をしていた。NYタイムスにも写真入りの大きな記事が出るなど、連日満員の大成功だった。土曜日には公演が終わるので、日曜日に余勢をかって、こちらに来襲するとの話が持ち上がっていた。麿さんとは1967年の唐十郎の赤テント旗揚げ公演以来のつきあいで、お互いに乱入来襲数知れずの仲だからもちろん否応はない。日曜日の最終セットは飛び入りミュージシャン可という不文律もあり、丁度いいやと待機する。やる曲はNYトリオ版の「ボレロ」になる。初日の本番前に、ベースのセシル・マクビーが今回のレパートリーに入れないかと提案してくれたのと、去年ベルリンで亡くなった麿さんの弟子の古川あんずが、1985年の自作公演の時に山下にリクエストしてピアノ版「ボレロ」ができたといういきさつがある。麿さんは「あんずの為にもボレロがいいか」と賛同した。

白塗月無眉日 日曜日のセカンドセットには、大駱駝艦の一党が集結。客席の半分は、ソリアゲ頭でマユ無しの男共に占拠された。背広姿の者もいて、実にコワクも異様。最終曲の前に、何が起こるか一応アナウンスして「ボレロ」を始める。客席から深紅のドレス姿で白塗り禿頭の麿さん登場。ステージ下手からはお相手の若林淳さんが上半身裸で登場。からんで舞う。途中、当然ながら客席に倒れかかるなどの挑発行為もあり、場内騒然、いやもう大騒ぎ。最後は裸男が深紅のドレス姿の麿さんを肩車で振り回して床に叩きつけるという荒技エンディングだった。あとで聞いたら麿さん、あの格好のままでブロードウエイをパフォーマンスをしながら移動してきたらしい。新宿もNYも区別しない麿赤兒のパワーは健在だ。実はこのセットの1曲目には、NY在住を始めたドラムの高橋信之介が叩いて、しっかり玄人受けしたのだが、その記憶もトリオの一週間の蓄積も吹き飛ぶ、駱駝嵐の来襲だった。それにしても、多分ミュージカル帰りに、仲間のジャズ通の人の提案でNYならではのジャズを聞いて自慢の土産話にしようと入って来ていた中央のテーブル席の白髪の目立つ裕福そうなドイツ人グループの皆様、えらいものをお見せしましたが、つまりこれもNYであるとお諦めください。



「CDジャーナル」2002年10月号掲載
.   .
. . . . .