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muji . 2009.11 .
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イラストレーション:火取ユーゴ
  山下洋輔の"文字化け日記"
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核月疑惑日 核持ち込み疑惑で騒いでいるが、何年か前に会った米国人ジャズギタリストは、初めて日本に行ったのは1968年で、サセホに空母エンタープライズで入ったが、その時自分は「ニュークリアー・オフィサー」だったと言っておりましたよ。日本国会に出廷させましょうか。

くぼ月がた日 檜原フジの森コンサートの日、居酒屋「くぼがた」の常連の小梅さん、ユキさん、ご店主の田邊棟梁、息子さんの学さん、そして常連ケンさんの運転という一行6人で出発。フジの森の会場を越えてさらに15キロ上にある数馬の古民家の宿山城に行く。延元元年(1336年)に出来た中村家の民家だ。富士型二重カブト造り木造五階建てで民族学的にも貴重な遺産になっている。これを最近九カ月かけて改修したのが田邊棟梁だった。今おれが住む立川の砂川が開墾されたのが400年前で、ここでも再三紹介した「猫返し神社」の異名を持つようになった阿豆佐味天神社が出来たのが380年前。その100年後の280年前に田邉棟梁の一家が阿豆佐味天神社を改修、補修するために乗り込んで来た。そのまま阿豆佐味天神社を守るために残った。現在の田邉工務店は五日市街道を挟んでお宮の正面にあるが、もとは下小屋と呼ばれる神社に付随した作業場だったそうだ。言い伝えでは江戸にも出むいて武家屋敷を造りお礼にもらった刀が何本か伝わっていたという。数馬の山城を改修したのは、阿豆佐味天神社の宮崎宮司さんの妹さんがそこに嫁いでいた縁からだ。職人さんを連れて毎日九カ月通うとは、落語「大工調べ」の背景がくっきり思い浮かぶような話だ。その山城でお昼ご飯にうどんや釜飯(時間がかかるので途中の車の中から棟梁が注文)をいただき、改修された建物を見学し、ご主人とおかみさんに挨拶してまたフジの森の会場まで戻っておれだけ下ろしてもらった。ご一行はそのまま別の知り合いの店で時間までご飲食という寸法だ。

フジの月森日 毎年のフジの森野外コンサートはもう16年連続になる。いつものように檜原村の太鼓グループ深山太鼓でオープン。おれの今年の相棒は竹内直(ts)。紹介の時についジャズ界の寅さんだの鶴太郎などと言いたくなる魅力的なキャラクターであるのは皆さんご存知の通り。例によってニューヨーク仕込みの豪快かつ繊細な音を浴びた。打ちげでは16年前には小学生だったという娘さんも何人かいて、当然のことだがその成長の姿にはびっくりする。中核スタッフの懐かしい面々に棟梁一派も加わって盛り上がり、恒例の全員集合写真撮影も無事終了。帰りもそのまま「くぼがた」になだれ込んだが、もうビール一杯飲むのがやっとだ。ご一派の中宿無風會の衆と祭り出た日も大体こうなるそうで、なんだかすっかり地元の衆になった気分だ。

菊地月成孔日 ピットインで菊地成孔3デイズの初日デュオ。毎年恒例が5年目。例によって超満員で酸欠で倒れた時の恒例の注意が菊地氏から発せられる。フリーとスタンダードのスローが交互の「紅白歌合戦プログラム」は例年通り。終演後、近所の蕎麦屋「楽庵」に同行。山下編集の「蕎麦処山下庵」という本に参加してもらった菊地氏がこの店のことを「新宿二丁目のやさしい蕎麦屋」として取り上げている。蕎麦と業界インサイダー話炸裂を楽しんだ。盗作問題について進行中の菊地研究が非常に興味深かった。

欧州月若者バンド日 大友良英の紹介でピットインに登場した欧州フリージャズバンド「THE THING」に助っ人参加。メンバーにはおれの旧トリオの演奏をLPやCDで聴いて育ったなどという人もいた。今でもコペンハーゲンのあるレコード屋はヤマシタトリオをがんがんかけて客の顰蹙を買っているなどの話で大笑い。後半に参加して全部即興でやった。マッツ・グスタフソン(sax)、インゲブリクト・ホーケル・フラーテン(b)、ポール・ニルセン・ラブ(ds)の強烈な波状攻撃に大友音楽が加わっていや久しぶりに奥歯ガタガタの快楽でありました。

開港月百五十周年日 横浜開港150周年記念のコンサート。山下公園の一角の石舞台に集結したのは、山本邦山(尺八)、一噌幸弘(笛)、東野珠実(笙)の和楽器勢に加えて太田恵資(vn &トルコ人)、吉野弘志(b)の洋楽器勢。笙の気高い響きから始まって、花調子〜萩(東野珠実作)、舟の丘(吉野弘志作)、幻燈辻馬車(山下作)、やわらぎ(山下作)、So Long(山本邦山作)、田楽幻想(一噌幸弘作)、越天楽と続いた。最後は幻燈辻馬車で終了。夫々の方と懐かしくも濃い再会セッションだった。笙の東野さんとは初共演だったが、国立音大の作曲科の後輩なので様々な話が弾んだ。「国立は入り口と出口が違う人が多くて、それがまた面白い」などの東野考察が興味深かった。ある科で入っても出る時はちがうものを掴むという意味だ。もっともおれは作曲科に入る時から願書に「ジャズピアニスト」と書いていたからそれには入らないかもしれないが。



「CDジャーナル」2009年11月号掲載
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