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muji . 2004.05 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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松月井日。1965年だから39年前、新宿椿画廊に偶然飛び込んで、出会った絵にびっくりして作者に会いに行った。武蔵野美大生だった同い年の作者は喜んでくれ、朝までさまざま語りあい、大きな絵をもらって帰った。生涯に一度だけ起きた出来事だったのだが、その画家松井守男さんは以後フランスに渡って、去年仏政府からレジョン・ド・ヌール文化勲章を受けた。日本人画家としては、フジタ、オギス、ヒラヤマ、タカハシ、に続いて5人目だという。目黒雅叙園ギャラリーで個展開催中なので久しぶりに会いに行った。今はコルシカ島住まいで海辺の宮殿のような家に住んでいる。この期間中に出演した「徹子の部屋」にその写真も写ったが、いやはやすごいものだ。おれも何度か遊びに行き、コルシカの民謡を素材にして「キャンバス・イン・クワイエット」というソロ・アルバムを作った。そのジャケットとライナーノーツに絵をもらい、巨大な原画は家にある。その頃松井さんはコルシカのアジャクシオ市のフェッシュ美術館で個展をやり市から勲章をもらったが、列席していたこちらもこのCDのおかげでしり馬で勲章をいただいた。松井さんの推薦にちがいない。世界広しと言えどもレジョン・ド・ヌール勲章の画家の絵を丸々使っているアルバムはこれだけだと自慢したい。見る目があったと俗に威張りたいが、それは結果論として、とにかく初対面でこれだけ強烈な印象を受け、その後も気になり続けた相手は、マツイとタモリだけだ。松井さん、名士としてF1モナコのヨットでの観戦に誘われたりする社交は当たり前らしいが、バチカンに献納する絵の制作が先だなどと、実にスケールの大きな暮しをしている。

函月館日。函館山展望台にある「クレモナホール」での毎年恒例のソロピアノ。15回目だが、ここに来るたびに一年の経つのが早いと痛感する。前に来たのが昨日のようだ。そのうち、あれ、さっきも来たんだっけ、となり、あ、今行ったのに、となっていつのまにか時間が急速化し滝となって落ちる。筒井康隆作品「急流」は正しい。昼は吹雪と日差しが交錯する不思議な天気でそれが夜も続き、スタジオの後ろのカーテンを開けて見える函館の価千金の夜景は、出たり消えたりだったらしい。しかし「本日はくっきりと冴え渡り」と確信をもって喋ってしまう。去年同様、全道に二時間のラジオ実況生中継だ。考えてみたらすごいもので、知人に話したら「電波法違反ではないか」と言われた。サッカーや野球やオペラとちがって一人で独占だもんね。今、気づいたが、モロ生なんだから、何をやってもよかったわけだ。そうか!「皆さん、**の馬鹿めが**しやがるから、糞**なのです。では次の曲は……」これでよかったのだ。って、やらないやらない。北海道放送の皆さん、ジャズの味方の安井ラジオ局長、ご安心ください。ところで、去年と同じ現象で、リハの時にピアノの鍵盤が乾き過ぎて滑る感じがあり、何とかして下さいと調律師さんに無理を言った。本番はばっちりだったので、うまく湿気を加えたと思っていたら、帰りのゴンドラのなかで思わぬ真相がG君から語られた。隣接する売店の従業員の男性で特別の脂症という人がいて、その人の手でまんべんなく鍵盤を触ってもらったんだって。そんな手があったのかよ。おえー。いやいや、ありがとうございました。

羽月田日。羽田空港から南武線一本で立川に帰るルートを試そうと、タクシーに乗る。川崎駅と言うと運ちゃんはむっとした感じ。なるほど同じ乗り場には横須賀行き、横浜行きもあるから最低の客なのかもしれない。そのせいだろう、当てつけばかりする。かっとなって運ちゃんの名前と神奈川県川崎タクシー協会の電話番号をメモした。「もしもし、極悪運転手がいますのでお知らせします」「はいはい」「雲助タクシーの雲山雲右衛門という者です」「はあはあ」「羽田空港で川崎駅と言うと、むっとしました。走り出してすぐの幅員減少でバスに抜かれると、怒って前に回り込んで急停車しました。バスがクラクションを鳴らすと、少し走ってまたわざと急停車しました。その後も一般道を百キロで飛ばし続けました。凶暴かつ危険な奴です。すぐにクビにしてください」「えー、お客様のお名前は」「馬鹿、誰が教えるか。復讐されるだろうが。そういえば短髪で酒臭い上にヤクもやっていたようだからヤクザに違いない。こんな奴を飼っておくテメエらタクシー業界のクソ野郎ども全員死んでしまえ!」ガチャン!などと妄想を働かせているうちに川崎駅に到着。運ちゃんが「領収書要りますか?」と言う。「お願いします。ツリはいいです」「すみません。はい領収書。よかったらこれも」とヤクルトをくれた。何だ、いい奴だったのか。別に怒っていなかったのか。じゃあ電話はやめておこうと駅構内を歩くうちに、いやいや、あいつはワシの怒った気配や、名前を書きとめているのを見て懐柔策に出たのだ、油断してはいけない、とまたまた猜疑心に逆戻り。


「CDジャーナル」2004年5月号掲載
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