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muji . 2002.06 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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 トホホのお話その2。横浜のランドマークタワーという場所がらに関係があったのでしょうね、駐車場へ下るエレベーターの中で、親娘三人連れの父親が「あ、山下大輔さんだ」。おれも野球は横浜ファンだから喜びつつも「いえ、その、洋輔の方で」と言うと「あ、そうだそうだ、クリスマスの歌、歌った人だよね」だって。ごていねいに娘に「ほらお前も持っているだろう、CD」。娘、ぽかんと口を開けてこっちを見る。しばし、静寂。エレベーターが止まるとそそくさと降りていったが、途中でどこか変だと感じたんだろうね。

 大昔にもありましたよ。同じ事務所というかアジトにいたころ、行きつけのラーメン屋のおやじに、「山下君、歌が売れてよかったね」と言われた。こういうときに「それはおれじゃねえ、ふざけやがって」とわめいてラーメンをぶちまけて大暴れをする性質の人間には、また別の輝かしい未来があると思うが、おれはただただ「いや、おかげさまで」とお礼を申しあげたのだった。そのアジト、まさに「ワークシェアリング」をやっていたのだが、当時はジャズ者の収入が結構助けになっていたと後に聞いた。憶えておいてね、タツロウさん、リュウイチさん。


4月5日  広島。広島交響楽団・指揮齊藤一郎で「ラプソディ・イン・ブルー」。本番に出かけるホテルのエレベーターの扉が開くときに、ピンポンという音を発する。この音程が移動ド読みで「ミー・シー」。丁度廊下に流れていたBGMの「When I FallIn Love」の「 In Love」とタイミング、音程がぴったり一致した。奇跡ではないか。この音、一階で開くときには「ドー・ミー」と上がる。いかなる、全日本ホテル音楽売り込み連合協議会の思想によるものか。ま、おかげで本番はタイミングよい気持ちの良い演奏ができました。


4月7日 カザルスホールでソロ。ホールの身売りが決まったので、カザルスでの春のコンサートは今回で打ち止め。7年間続けてきたが、来年は別のホールを探さねばならない。終演後、ロビーでのサイン会を最近実行している。去年の台湾公演でやったのがきっかけで、その時には250人にサインをして握手した。本来はCDや本を買ってくれた人だけだが、途中から手帳やらチケットやらポシェットやらシャツやらで見境がなくなった。

 ところで、台湾のスタッフは皆英語名前を持っている。バーナードにドロシーにキャシーにビクトリア。日本にもアグネスやビビアンがいますよね。あれ皆洗礼や教会に関係があるのかと思ったらそうでもないそうだ。英語の授業の時に先生が英語の名前をつける。だから人気のある名前のキャサリンなどは呼ばれると5、6人が一斉に返事をする。それが嫌でドロシーにしたとドロシーは言っていた。おれも40年前のグアム島の米軍基地の仕事の時には、担当将校から英語名前をつけられた。ピアノだからPを取ってフィルだそうだ。他にべースはビル。トランペットはトミーと安易な頭文字方式だったが、ドラムだけは独特の強そうな容貌とキャラクターからロックと呼ばれた。バンマスはアルトのジミー金沢でこれは前からの名前だ。英語名前を付けられて呼ばれるのは違和感と同時に、どこかくすぐられるような感じもある。といってお互いにトミーだフィルだと呼び合うのは恥ずかしい。喋る言葉が英語になっていたらいいのだろうが、そうではないこの状態は、植民地感覚といいますか、実に中途半端で、今考えると結局は将校が呼びやすいためのペットの名前のようなものだったのだろう。


4月10日〜12日 伊豆高原。伊豆スタジオ。向井滋春(tb)の発案で出来た「室内楽団八向山」の合宿レコーディング。他に八尋知洋(perc)が「八」でおれが「山」。三人揃って「八向山」というわけ。結成は1995年だから結構しぶとくやっている。PAを使わずにクラシック・ホールなどで「変態室内楽団」として暴れようというコンセプトだ。今回の収録曲は10曲。いつもアンコールでやるボーナス・トラックの「アフロ・ブルー」以外はすべてオリジナルだ。発案者の向井滋春の曲が多い。
 ホテルのような部屋に寝泊まりし、24時間いつでもスタジオが使えて、食事も朝晩用意される。常時わき出る温泉もある。ここには、2000年1月の東京オペラシティでのリサイタルのために前の年の二月に初こもりに来た。クラヴィノーヴァとコンピュータを持ち込み、「ピアノ協奏曲第1番 < Encounter>」と、オケとの共演版「仙波山」の構想を練った。基本はほとんどここで出来てしまった記憶がある、ゲンのいいところだ。今回は、録音エンジニアの森本八十雄さん、調律の小林祿幸さんも泊まり込み、相変わらず玄関には可愛い外猫たちが飛び跳ねているとなれば、コンディションが良くないわけがない。順調に収録が進み、3日目の夕方にはいわゆるオトシまでが全曲済んだ。伝説の奇っ怪芸術山・八向山がついにアルバムデビュー。乞うご期待。6月下旬発売、ZiZOレーベル。



「CDジャーナル」2002年06月号掲載
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